愛ですか?脳死臓器移植
この資料は、脳死を人の死として臓器移植を行ういわゆる「臓器移植法」に反対する人々により、様々な主張を纏めて出版された啓発本「愛ですか・・臓器移植」から、「事実として重要な部分」と「考えとして重要な部分」を抜き出したものである。図と表はスキャナーで取り込んみ、図はそのまま、表は形を整えて載せた。文章は原則OCRにて文書化し、気づいた範囲で誤訳は修正したが、まだ誤字・誤訳が残っているものと思う。不審な点があれば原著を参照されたい。縦書きを横書きにした関係で漢数字は一部算用数字に書き換えてある。
抜粋部の目次
脳死はこうして作られる 脳低温療法 厚生省に任せられますか・・あなたの命 日本移植学会「臓器提供マニュアル」批判 臓器移植法案の意味するもの 「脳死=臓器移植」法案の盲点 国会議員への十の質問 レシピエントは本当に利益を受けることが出来るのか 脳死患者の発生を減らす為の努力を 北米での脳死臓器移植 人の死は文化のなかにある ついにパンドラの箱は開かれた 和田教授のいい加減さ 山口義政君は生きていた 脳死状態にある妊婦よりこどもが生まれたという事実が世界の各地より報告されている 文献
脳死はこうして作られる 関西医大事件(p21)
1993年10月末から11月の事件です。ドナーとなつた女性は29歳の若い看護婦でした。頭痛のため勤務先の病院でCT検査をしたところおかしいと言われ、病院の紹介で関西医大に歩いて入院されました。ひどい頭痛とCTの異常からクモ膜下出血と考えられました。その場合、暗い静かな所に寝かせることが一番なのですが、救急部では安静にできる部屋がなく、うるさい所で寝かされ激しい頭痛を訴えていたところ、動脈瘤が破裂しました。その後も病状が進行したために翌朝、開頭手術をしました。麻酔を打つと体が冷えた状態になります。手術室から帰ってきた時も低体温でした。こういった患者さんにとつては、脳の治療のためには低体温は都合が良い(後述する日大板橋病院林成之教授による脳低温療法では、32−33度の脳温管理が必要とされている) のに、なぜか看護婦は温めてしまいました。その結果三十九度の熱となり、瞳孔が散大し、やがて反応もなくなりました。手術後半日で、脳外科の医者は望みがないと判断しています。裁判所の申し入れで、関西医大の救命救急センターからたくさんの資料が出てきました。
脳低温療法(p29)
二十年近く脳外科の医療現場を担当している医師です。十五年ほど前から脳死問題に関心を持つています。脳低温療法を中心にしながら、今の脳外科における救急医療には何が必要なのか、現場の医師がどのように考えているかをご紹介します。
@脳低温療法で「蘇生限界点をはるかに越えた脳死寸前の患者」が助かつている。柳田邦男氏が書かれた「脳治療革命」(「月刊文芸春秋」1997年4月号)は、脳低温療法のくわしいレポートです。
A生還(社会復帰)した「脳死寸前の患者」は、厚生省脳死判定基準では「脳死」だつた。
B「全脳の機能が不可逆的に停止する」蘇生限界点を前提とした脳死判定基準では、「脳死寸前」と「脳死」の判別は不可能。
C脳死判定基準に依処する臓器移植法案の「脳死体」には、「脳死寸前の患者」も含まれる。
D全国の救命救急現場の早急な整備なしに臓器移植法案を成立させることは、年間数千人に及ぶ「脳死寸前の患者」を死に追いやることになる。
大阪にある国立循環器病センターの川島康生総長が「臓器移植がなされないためにジャンボ機一機分くらいの子どもたちが毎年死んでいるのだ」とよく言われるが、彼の言葉を引用すれば「臓器移植法案によりジャンボ機十機分くらいの方々が葬り去られることになる」と言わざるを得ない
*28日本大学板橋病院の林成之教授(脳神経外科)チームが開発した、重症頭部外傷をはじめとする重篤な脳障害患者に対して、体温を32〜33度に下げ、脳の温度もそれに近づけ神経細胞の損傷を抑える集中治療法。1991年以来、頭のけがや脳内出血にともなう重症の植物状態、脳死状態に陥った人を高い確率で回復させている。(林成之『脳低温療法』総合医学社、1995年など)。
*29厚生省「脳死に関する研究班」が提案した脳死判定基準(竹内基準)は、厚生省判定基準とも呼ばれる。臓器移植法成立後、厚生省令でこの基準をもつて運用することとなつた。
2「脳低温療法」により「脳死寸前の患者」が助かっている事実
1994年12月放映のNHKスペシャルで、日大板橋病院の林成之教授による「脳低温療法」のルポルタージュが報道され、遠藤ふじ子さんという重症な頭部外傷の方が助かつている事実が紹介されました。また今年に入っての放映では、75名中56名が生還し、この中には木下ひでおさんという重症なクモ膜下出血の患者さんも紹介され、その後無事に家に帰られるシーンもありました。
脳低温療法は、日大だけではなく広島大学、山口大学など、いろいろなところから成果が論文として発表されています。また、脳死・脳蘇生研究会という学会でも、名古屋の藤田保健衛生大学脳外科、東京の日本医科大学などでの成果が相次いで発表され、日大だけではなく全国で治療を見直し、実績を上げてきている現実があります。
最後に、岡山に住んでおられる寺尾陽子さんのお話*37です。彼女は生まれた時に三歳までの命と言われました。十七歳の時には、今移植を受けないとあと一年から二年しか生きられないと言われましたが、心臓移植を拒否し、現在二十八歳になりました。昨年秋、私たちが主催している現代医療を考える会での講演のため、大阪に来てくれて三十分間立ったまま話をしました。すでに心臓が大きくなる状態は止まり、心臓が悪い人に必発の血液が濃くなる症状も止まり、一定の小康状態を保っています。日本の移植医の一種のまやかし、この裏には何があるのでしょうか?
*37イギリスの病院で心肺同時移植の候補になつたが、一年余の葛藤の末、移植を拒否。その間の気持ちを『生きててよかつた』(リヨン社)にまとめた。
厚生省に任せられますか・・あなたの命(p36)
波部良夫先生が循環器学会の臓器移植のパネルディスカッションで各会員に質問をされました。
「あなた方のお子さんにドナーカードを持たせていますか?」。誰一人持たせてはいませんでした。
なぜ移植推進派の人たちは、自分の子どもたちにドナーカードを持たせないのでしょうか。それは移植の現場を知っているからです。あまりにも生々しくて残酷だからです。我が愛する子どもの臓器を摘出させたくないのが本音ではないのかと思います。
千里救命救急センター事件のドナーのお母さんから「息子が因幡の白兎になつてしまった」という言葉とともに、皮膚だけではなく眼球も摘出されて血が流れていたというお話がありました。
「ご臨終です」と言われ、すぐ外に運び出して臓器摘出手術が行なわれ、家族の悲しみなどは一切関係ないのです。人間の死に対する痛みは、この法案のなかには含まれていない気がします。
日本移植学会「臓器提供マニュアル」批判(p40)
移植学会が作つた臓器提供マニュアル(案)がここにあります。そもそもなぜ移植学会が提供マニュアルを作るのか、私には信じられません。移植学会はドナー側とは無縁なはずですから。ましてこのマニュアルに則って、厚生省が後押しをして法案を作り、移植が行なわれていくなどもっての外です。
「日本医事新報」(「移植学会、臓器提供者の意思確認必要と判断」一九九七年三月二十九日号)に載った移植学会が発表した骨子のなかには、移植ネットを作る、委員会を作る、とありますが、最後のほうに一番問題にしたいことがあります。
「今のところは法案をまず通すことが先決である。現段階での脳死臓器移植はその足かせとなるようなことになるのでしかないが、もし法案が否決される場合は本人の提供意思があろうとなかろうと移植はやってしまう」という箇所です。
法案を作ればそれに従うが、作らなければ勝手にやるという、これは一種の脅しです。医者が一番やってはいけない脅しです。患者さんは声を出せない、また家族は主治医に何も言えない状況にあるのですから、こうした高圧的な態度は医者の倫理以前の問題です
臓器移植法案の意味するもの(p57)
はたして、脳死・臓器移植で助かつたといわれる人は、本当にそれでしか助からなかつたのか?一度移植手術を受けてしまった以上、生きているのが移植によるのか、それとも他の理由によるのか、このことを証明することはできません。しかも、さまざまな具体的事実があります。たとえば、日本のお医者さんに「臓器移植でしか助からない」と言われて外国に波り、待機していたものの、適当な臓器がこなかつたため、残念な思いで帰ってきた…・。しかし、別の薬物療法で社会復帰を果たした、というものです。
また、肝臓移植でしか助かる道はないといわれて待機していて、三年後にようやく移植をすることができた、けれどもその患者さんは七十四日めに亡くなつてしまった、という例もあります。
ドイツには、ナチスの医療を徹底的に自国でも糾弾してきた歴史があります。日本は、ナチス以上の人体実験専門の七三一部隊というものを有していました。が、しかし、私たちは歴史的に、それを基本的に不問に付してきました。そして七三一部隊の生き残りの人々が、大阪のある巨大薬剤会社を設立し、そして数十年後その会社が薬害エイズをつくりだすに至った。私たちには、このようなことに対する歴史的眼差しがあまりにも稀薄なのです。
また、ドイツの宗教界では、カトリックの方はおおむね脳死・臓器移植や脳死をもって死とすることに賛成していますが、それでもたとえば、ケルン大司教は異を唱えています。一方プロテスタントの方は、これまでの態度を転換し、基本的に脳死に反対する声明を打ち出しています。
私はストロークを持っていた場合どのように私は知っている
「諸外国では脳死・臓器移植が認められてきた。それに対して、日本はその後進国である」。今まで、このような一面だけが打ち出されてきたわけですけれども、今、ドイツを例に一言申し上げたように諸外国でもさまざまな立場があるわけです。マスコミの人たちには、ぜひそのような両面性、多面性を報道していただきたい、と思っています。
「脳死=臓器移植」法案の盲点(P68)
可能な選択肢
A「脳死」を前提とする移植医療は断念する
中山案(「脳死」を前提とする移植医療)は、国際的に見ても、問題のある法律だと思います。それで最も明快なA案が出てきます。
もう一つは、「脳死」を前提としないで、臓器移植を考えるべきだと思います。「脳死」を前提とする移植医療は排除する。この精神が基本でなくてはならないと思います。それがB案です。
Bインフォームド・コンセント、コーディネーターなどの公正医療思想・システムの整備をした上で、「脳死」を法制化せず、違法を覚悟で移植医療に踏み込むか? その際、ドナーは自殺行為、医師は自殺幇助と見なされる.法律的には違法性訴却を考慮する。判例の積み重ねが慎重さを保証するであろう
国会議員への十の質問(p79)
最近交通事故による若者の脳死が減ったのに対し、アメリカで移植医の一部から「高速道路の速度制限を緩めろ」と、要するにもっと脳死事故を増やせという声が上がっている。これが健全な社会でしょうか。
またドイツでは、一九九〇年にカトリックとプロテスタントの両教会が、愛の行為として移植を積極的に推進していました。お墨付きを与えていたわけです。しかし、九四年になつて、もっとドナーの人権を守らなくてはと、推進したのを撤回したわけです。そういうことをぜひ認識していただきたい。これは阿部知子先生からうかがったのですが、最近ドイツで日本と同じ脳死立法の動きが起こつたのに対して、医療関係者八万人の署名を付けた反対声明が出されたという事実を、ぜひ認識してもらいたいと思います。
臓器移植法案の審議がまだ続いている日本こそ、移植実施の後進国などと卑下することなく、移植論議の先進国だとむしろ胸を張って世界に宣言していただきたいのです。
6 移植堆進派の人たちは、家族全員にドナーカードを持たせ、その事実を国民に公表すべきではありませんか? このように思ったきっかけは、数年前に日本循環器学会でパネルディスカッションがありまして、ある移植推進派の教授が「自分はドナーカードを持っています」と誇らしげに見せていました。 私は反対論者ですので、それを批判したわけです。六十歳を過ぎた教授がドナーカードを持っていても、あなたの心臓は誰も必要としていません、使えません。そこで「本当に推進するのだつたら、まず、あなたの子どもたちや家族の中でドナーになり得る若い人を説得してカードを持たせなさい」と言ったわけです。
すると、私の論文に対する反論で、お前は何を言っているんだ、十八歳以上の子どもは独立人格で自己決定権がある、親が強制することはできないと言ってきました。その一方で彼等は、最低一千万人の国民にドナーカードを持たせる運動をしているのです。皆にはドナーになれと言って、家族は説得したくないというのはまったくのエゴです。それがなぜわからないのかと私は言いたい。この間の移植法案に賛成した国会議員は家族全員にドナーカードを持たせ、それを公表していただきたいと思います。あるいはドナーカードは持たせるよ、けれどプライバシーに関する氏名の公表はしないとおっしやるかも知れませんが、あなた方の手で移植法案が成立したら、反対者を含めて一億一� ��万の日本人、子々孫々数十億の日本人全部を縛るわけです。だからプライバシーなどという一言で、責任を回避できる問題ではないのです。
私たちは、ドナーカード所有者の公表は、その人が犯罪に巻き込まれる危険さえ招くことを懸念します。それは若い健康な男女を誘拐して、脳死状態にして移植組織に売りつけるという犯罪組織を描いたアメリカの映画を連想するからです。
もし、あなた方が我が国ではそんなことはないと否定するのなら、家族に何も危険がないわけですから、ぜひ氏名を公表してください。そうすれば国民も、なるほどあなた方は本当に推進する信念があるのだ、と納得するでしょう。あなた方がそういう可能性はないと思うけれどもゼロではないから公表しない、と言うのだつたら、なぜそんな危険な法律を国民に押しつけるのですか。
8 あなた方は脳死状態にある知人に香典を持って行ったり、脳死になったあなたの家族をまだ身体の暖かいうちに火葬できますか?
この香典の話は、弁護士の原先生の文部から取り出してきました。
私たち医師は医学的に脳死状態というものが存在することは認めますけれども、それを人の死だと決めつけることは、何万年もの人類の文化・人情の自然を根本から覆す暴挙だと思うのです。
心臓、呼吸が止まって脳の働きも失われたことによる従来の死の判定法では、本当に何分間という短い時間で身体の色も変わります。どんどん冷たくなつてしまう。家族は泣く泣く愛する者の死を受け入れざるを得ない状態になるわけです。
ところが、脳死はそうではないのです。そういうことをわれわれが言うと、すぐに推進派は「お前のいうことは感情論だ」 と言います。
では、あなたは理性で全部割り切れるのですか?
「あなたの知人が入院して脳死状態になつたらあなたは香典を持って行くのですか? それともお見舞いを持っていくのですか?」 と原先生は書いていらつしやる。そういう質問をすると、
皆、今まで脳死は人の死だと言っていた人が絶句する。香典を持っていったら殴られるだろうと言った人もいる。
それから火葬できるのか? というのは、東京の神経科学研究所の先生がおっしゃっています。
本当に身体は温かいのに、死体だと言うのだつたら、あなたは脳死状態の家族を温かいままで火葬できますか? おそらくあなた方は、火葬場へ行く前には通夜もするし、告別式もする。身体が温かいのは人工呼吸器を付けている間だけであつて、その時までに人工呼吸器を外して冷たくなつているから大丈夫だ、というかもしれません。つまりあなたも身体が冷たいからこそ火葬できると認めているのではないですか、と言いたい。
レシピエント側から移植医療を見直す(p96) 西河内靖泰(全園肝臓病患者連合会元事務局長)
マスコミの報道を見ていると、患者側は皆移植を待っているかのように報じられています。しかしながら、この問題に関して反対運動を続けているわれわれのような患者もいることは一切報道されません。昨日の「ズームイン朝」でも推進派八団体のデモのことを取り上げていました。 私どもは再三にわたつて衆参の議員さんを訪ね、法案は待ってほしいと申し上げてきました。論議を積み重ね、その上でどうするかを決めてほしいと提起してきましたが、まったく無視されています。
一九九二年に「移植を受ける患者のためにも"臓器移植法″ちょつと待って」というパンフレットを、当時参議院議員であつた堀利和さんと協力してつくり、議員全員に配りました。 が、今も覚えていらつしやる議員の方はわずかです。
これは、レシピエントになる可能性が大きい患者の立場に立って、移植の問題をちやんと考え直してほしいということを訴えたものです。その時に真剣に議論しておれば、こんな法律なんかは出てこなかつたと思います。出てきたとしてもこんな悪法にはなつていなかつたはずです。 中山案、金田案にしても、移植を必要とする人に移植をさせるための法律、適用するための法律だと言います。しかしながら、移植の適用になる可能性が高い患者にとって、その移植がベターであるとか、ないとか、そのことについてなんら論議をしていない、考えられてもいない、そういうことを頭に入れた様子もない。そうした状況で、この法律を決めようとするのは非常に乱暴であり、失礼なことだと思っています。このパ� ��フは、たった一人の国会議員が作っているものです。それなのに今いる国会議員の人たちが何の議論もできないということはいったいどういうことなのかと思います。
そういうことを前提に、お話ししたいと思います。日本で最初に心臓移植が行なわれたときに、その「和田心臓移植」がなぜ問題になつたのでしょうか。
移植を受けた宮崎青年が、移植は必要でなかったにもかかわらず移植をされた可能性が高く、そして、そこで心臓の弁が巧みにすり換えられていた、という事実等々、レシピエントの、移植を受けた患者さんの人権が明らかに侵害されていた。
レシピエントの人権と言うときに、普通に報道される時には、移植を受けないで死んでいく人たちのことを指すという感があります。しかし、もう一つ、本当は移植は必要でなかつたにもかかわらず移植を受けさせられたという人権侵害については、ほとんどふれられていません。その責任は誰がとつてくれるのでしょうか。
移植を受ける患者のなかには、実は移植が必要でない方がいます。移植は余命半年や一年の患者さんが受ける治療のはずですが、二年も三年も移植を待っている方がいます。二年、三年と生きているのですから、本来、移植は必要なかつたのではないかと思います。待たされた状態の患者さんと移植手術を受けた患者さんの生存率はほとんど変わらないといいます。そもそも移植を必要としない方も移植手術を受けていますので、この生存率のデータは役に立ちません。
肝臓で言えば、移植で助かるのはどんなに努力しても一年間に千例を越えることはあり得ません。患者は二十万人もいます。その内、はつきりと移植を必要とされる方は四、五万人と移植側のデータでは言われています。それでは、臓器をもらえる千人をのぞいた後の患者さんはどうなるのでしょうか。そんな不公平なことをしなくてもすむような医療技術を、徹底的に開発する努力こそをしていただきたいものです。そちらにお金をかけるほうが、限られた医療費の有効利用となります。
レシピエントは本当に利益を受けることが出来るのか?(p100) 近藤誠(慶応大講師)
私は放射線科でガン治療の専門家です。
耳ACHを取り除くためにどのように
脳死臓器移植の問題は、ガンの終末期医療やインフォームド・コンセントと共通する関係があります。医療体制の不備も共通問題で、関心を持っています。脳死臓器移植について、一時期集中的に調べて論文を書き、脳死陸調の最終答申が出た後にNHKの番組で脳死臓器移植慎重派として発言をしたことがあります。
今、日本では脳死を人の死と認めるか、脳死状態の人から臓器摘出が許されるかというもっぱらドナ−側の議論に片寄りすぎていると思います。そこから抜けているのは、臓器移植が始まった時に臓器を受け取る側、提供してもらう側、レシピエントが本当に利益を受けるかどうかの議論です。
今日はドナ−側のことにはふれずに、脳死臓器移植が始まった時にどうなるかを考えていきます。
私由身の考えを明らかにしておきます。
脳死を人の死と一般論として定義することには反対です。
脳死を人の死とするような法律を作ることにも反対です。
ただ脳死者から臓器を摘出して、レシピエントに移植することが絶対にいけないという、そこまで言い切る勇気はありません。それで利益を受ける人もいるのかなという気がしています。それではどのくらいいるのかが問題になりますが、その話をします。
ウェイティングリストに載せるレシピエントになる患者さんは移植でなければ本当に助からないのか、本当にすぐに死んでしまうのか、その中身をレシピエント候補に話した時にそれが本当に人道的なのかという問題です。
最初は監視が厳しいですから、レシピエント候補をウェイティングリストに載せる、それは公表の上でやるかも知れません、世間にも患者さんにも知らせるという方法です。
しかし、そこはだんだんに崩れていくと考えます。ドナー候補が出た時に、今まで黙っていたレシピエント候補を呼び出して「あなたは移植でしか助からないです、数日以内に返事をしてください」となるのではないかと予想します。
例えば心臓移植の場合は三か所の施設、前に比べるとかなり絞って前進だと思いますが、三か所でやる場合、一つ一つの施設が独自のウェイティグリストを作るでしょう。一人だけは移植を受けられるかも知れませんが、残りの人は待ちぼうけウェイティグリストです。
その患者さんがすぐ死んでしまうという判定が、本当に可能かは大きな問題です。移植が始まつた頃に比べると、対象患者の幅はかなり広がつています。それが問題を起こしています。最初は移植医たちは半年以内に死んでしまう人を対象にすると言っていましたが、こういう人たちを対象にすると移植は全滅でした。
余命半年と言われた場合、いつの時点で死ぬことを予想しているのか? 半年間は生きていて半年目あたりに全員が死ぬのか、それとも一月目で死ぬ人もあれば二月目で死ぬ人もいるという、パラバラ死んでいき半年目には全員死んでいるという二つの考え方があると思います。半年経つと全員死んでいたという後者の状態の患者さんは移植をしても上手くいきません。ほとんどの方が心臓不全がかなりひどく、心臓移植をしても他の臓器の機能が戻らない状態です。ですから手術をすると早々に亡くなることになります。そういう理由で最初の移植はほとんど成功していないのです。 そこで移植医たちは余命一年と言いだしました。余命一年の判定が可能で しょうか? 例えば余命半年と言われた人が、半年間は生きることは確実視された人が、その半年後に亡くなる予想は可能でしょうか。半年の生存率一〇〇%を保てる人ならば次の半年も生き続けるだろう、この生存率曲線の一般法則はまず例外はないです。だから半年・一年を生きて、その時点で全員がバタンと死ぬようなことはあり得ず、必ずダラダラと亡くなつていきます。
きちんとした判定は不可能なのです。不可能だからこそ、移植を勧められた人のなかには早く亡くなる人もいるし、移植を受けなくても何年も生き続ける人もいるのです。
このレシピエント候補判定の問題は、移植をする側の勝手な恣意的な判断で行なわれることが多く、問題はまったく解決されていません。
移植が始まると、最初のうちは監視の目が強いので、厳格にレシピエント候補を選び出します。
が、そういう方には失敗が多いとお話ししました。そこで移植がつぶれていく可能性がありますが、逆に言うと、移植が上手くいくには、最初からかなり状態のいい人を選んでいく可能性が高いことです。これは世界中で移植を始める時の一般法則となつています。
一つの施設でできる移植の数は少ないと思います。これは移植推進派には大問題なはずです。
長いウェイティングリストができた場合にやることは、お金を積むことです。アメリカでも疑惑が出てきていますが、日本はアメリカ以上に医者と患者のお金の授受は野放図状態です。法案の中に利益供与の禁止となつていますが、守られるはずはありません。そこを解決しないとまったく不公平な医療となります。
心臓移植を受けられた人の生活の質は非常に悪いです。決してバラ色ではありません。まともに生活できる人は三分の一くらいでしょうか。むしろ生き残らない人がいます。生き残っている方でも、なんとか日常生活が送れる方は三分の一くらいです。そういう方々は当然免疫抑制剤を使用し続けて、さまざまな検査を繰り返していく必要があります。結局は、全体として見ると、心臓移植を受けた人たちと受けないで待っている人たちのQOL(Quality of Life;生活の質、松原注)は変わらないという報告もあります。
最後に脳死臓器移植は人の死を期待する医療です。医療の場で人の死を期待することはしたくないです。この脳死臓器移植の話はその場面だけに限らずに、日本全体に非常に大きな精神的なダメージを広げていくことになります。そのことを一番恐れています。
脳死患者の発生を減らす為の努力を(p104) 戸川二美子(全国交通事故遺児の会)
私ども交通事故の被害者、特に死亡者、そして自分でものを言うことのできない重度の障害を負ってしまった人の人権はほとんどないも同然です。 先日の交通事故遺族の会の総会に、週刊朝日の柳原みかさんという方が、自分で書かれた記事と統計を持ってきたのですが、もうびっくりするような統計が出ていますので、紹介したいと思います。
自賠責保険がありますが、加害者側の無責ということで支払われない場合があるそうです。それが死亡事故の場合には七%前後です。昨年七%をちょっと切っています。ところが、負傷者の場合には加害者側が無責、責任を食わなくていい状態になつているのは0.7%くらいで10倍違います。 いかに、ものを言えなくなつてしまった被害者が、人権蹂躙されているかということです。これほど端的に示した統計はないと思います。この辺からも国は腰を上げていないなと、国は何もしていないなと、本当に感じました。
交通事故の被害者から、必要臓器の六割、七割を取ろうとするもくろみがあると、臓器移植の医者が公然とおっしゃっているそうです。もし、この法案が通ってしまえば、交通事故の対策も現在よりも後退するのではないかとそんな恐れが出てきます。なにより交通事故を未然に防ぐということをやってほしいと思います。
患者の権利を守るために(p114) 「脳死」臓器移植による人権侵害監視委員会・東京
個人的な思いを簡単に申し上げます。
脳死は客観的に存在しないものだと思っています。
移植医の頭の中で作り上げた幻想ではないでしょうか。脳低温療法で蘇生限界点は遠ざかつています。脳死判定は単なる技術でしかありません。脳死状態とは限りなく死に近づいた状態、近づきつつある状態ということで、臓器移植のために便宜的に死んだことにしようとしています。
節度と順序を守っていただきたいです。
人間が技術的にできることとやって良いことを混同してはならないのです。この問題ははじめから混同しています。脳死臓器移植は命を物として考える発想ですから、その考え方はきっぱりと嫌だと申し上げます。
臓器移植は、先進国のなかで日本は一番遅れていると言いますが、それはまったく逆で、脳死臓器移植という蛮行を最後まで選択しなかつたことで、五十年百年後には、日本は国際的に高く評価されると思います。 綱川英治
私自身は、弁護士として法律家の一員ですが、なぜこの問題を考えるのかということを簡単に申し上げたいと思います。
日本の医療に関する法律のなかに、「患者の人権」という言葉はありません。すなわち、現在の日本の医療制度のなかでは、「患者の人権」、あるいは「患者の権利」ということがきちんと保証されていないわけです。
昨今、「インフォームド・コンセント」 ということがよく言われていますが、インフォームド・コンセントをきちんと守るということさえも法律には書かれておりません。
それから、患者さんが自分の医療情報を手に入れたいと考えて、レセプト、カルテ等を見たいと思っても、そのような権利を現在では認めていません。そのような現在の医療制度、法律制度のなかで、なぜ移植医療だけが人権侵害と無縁でいられるのかという疑問を持っているわけです。 今後もし、移植医療が広範に行なわれるとするならば、残念ながら人権侵害というものは避けられないだろうと思います。そういう意味で、脳死・臓器移植による人権侵害の監視委員会を作つていくことを考えたわけです。
関東、あるいは東京レベルで、移植医療に関する人権侵害の事例という報告は、まだありませんが、これからはこのような問題が起こり得ると思われます。それに対して、東京、あるいは大阪のほうで対応していきたいと思っておりますので、よろしくお願いします。
森谷和馬
北米での脳死臓器移植(p118) マーガレット・ロック(カナダ マギール大学教授)
ここで、一例を短く紹介したいと思います。
胆道閉鎖の赤ちやんの極端な例をお話します。日本でも胆道閉鎖は問題になつています。
ボーエンテクニックを実行する方法
この赤ちやんは移植の適用だと言われましたが、ご両親はこの子をこれ以上苦しめたくないので、移植を断った。そして、それならばと、医者が裁判に持ち込みました。親からその親権を奪い、裁判所の児童保護という観点から、その子どもに移植手術を受けさせるために、子どもを連れ去ったわけです。
そこで、今度はご両親が上告をしました。この時の判断は、両親は子どもを手元に連れて帰りなさい、ということで今度は連れて帰りました。その途中で子どもが亡くなつた。
このご両親と子どもの最後の数か月というのは、移植医療にふりまわされて非常に悲惨なものになつた、と。
このような例はカナダだけではなくて、イギリスでも報告されています。
最後に、われわれは移植を拒絶する、リフェーズする権利を持っている、それと同じように、ドウネーションについてもノーという権利をもっている、ということをメッセージして終わりたいと思います。
人の死は文化のなかにある(p139) 廣澤弘七郎(東京女子医大名誉教授)
臨床五十年の立場から
私は昭和二十年に医師免許をいただきましたが、以後五十一年間、一人の施床医として努力してきたつもりです。臨床医が真面目に仕事をするためには、自然科学的知識がないといけませんが、それに加えて人間とはどういうものかという人間学、社会とはどういうものかという文化論、いわば広く深い教養を身につけていないと施療はできないのです。そのためには患者さんやその家族との会話も大切にしなければなりません。
私は医師として、いわゆる脳死という状態が存在することは認めますが、それがそのまま人の死、命のなくなった状態であるとは思いません。
それは文化論的でもあります。人間を統合体として考え、その統合がなくなつたということで脳死を死と認めようという議論があります。そういう意味も含めて広い意味で人が死んだ状態とは思いません。
脳死臓器移植をやりたがつている人たちは、脳死という考え方は昔からあり、何も臓器移植のために考えられた概念ではないと言います。これは明らかに詭弁です。私も臨床医ですから脳死がどういうものかだいたいは理解しているつもりです。過去に、自分が預かつている病室で、それに相当する患者さんを見たこともあります。その治療に頭を悩ませ、はかないな、苦労だなと思いました。また、ある時には患者さんに対するその家族の気持ちがどの様に変わっていくかを見てきました。家族に、助かる見込みのない重い病気を持った方の心理はきわめて複雑です。時には冷酷にもなると見えます。これは痛いほどわかります、わからないと臨床はできません。推進派の医師たちには� ��この点の感性が決定的に欠けています。
日本では臓器移植について、真面目に論議されないままに法案になつています。日本医師会の生命倫理懇談会も脳死臨調もです。脳死臨調ではその審議を一年ずつ脳死と臓器移植とに分けてしたといわれますが、実質はそうでなかつたと思います。約十冊のレポートを読みましたが、脳死については綿々とやっているのに、臓器移植の本質論は何も審議されておりません。日本医師会でも同じです。
脳死状態の人からドナ−として生きている臓器をえぐり出すことは殺人になると思います。
草食動物を肉食動物が食べて、またそれを人間が食べます。食物輪廻と言いますか、人間という動物は特殊な立場にたつた生き物です。しかし人間同士は決して食べないと強調します。そして生きて拍動している心臓をえぐり出すことは食べるよりも悪いのです。臓器移植は、きわめて残酷で危険な考え方を後世にまで文化的に残します。人の肉を食ったり(カニバリズム)、人の心臓を取る移植を、なにゆえ人間同士がやらなくてはならないのでしょうか。
私は内科の医師で、大勢心臓病で亡くなる方を看取りました、そして長生きさせることに努力をし続けています。
日本循環器学会の専門家が集まる「心臓移植の適応をきめる委員会」では、こういう状態の患者さんはあと何年くらい生きるであろうかと調査し、移植の必要性を考えます。一つの重い状態があつても五年生きる方もいるし、三日で亡くなる方もいるわけです。また、病気の種類もいろいろあるのですが、それを平均値で割り、あと半年くらいで死ぬような方は臓器移植を勧めましょうとなります。しかし、これは一人一人の患者さんに当てはまることではないのです。
臓器移植という行為は、臓器を部品すなわち物質として利用することに他なりません。きわめて残酷な行為で、尊厳性を損ない、後世にも罪悪を残します。
腎臓と角膜はすでに法律もあり既成事実として実行されているので、この辺はあまり議論しても意味がないかもしれません。
移植から輸血までのスペクトラムの系列を見ると、その利用に対する感性、残酷感は違います。私の結論として、拍動している心臓を必要とし、脳死を前提とする心臓移植だけはやめて欲しいと思います。
生きている人(生体)からの移植は、まさに傷害罪に該当する残忍な行為です。世の中を平和に保ちたいからこそ罪があります。倫理、道徳、エチケットなどより重い″罪″なのです。
人の死は、肉体の死と同時に社会学的な死でもあると世間で言われます。これは文化論的意味を持ち、非常に意味深いものです。一人の人の死は、その家族をはじめ、生き残っている人々にとって精神世界の問題も含んでいます。葬礼の行為があり、また死者を偲ぶ心があります。人の身体というのは、生きている時はもちろん死んだ後でも尊厳性があり、愛の対象でもあります。
ついにパンドラの箱は開かれた(p175) 松本分六(天心堂へつぎ病院理事長)
和田生体解剖心臓移植に関する正式の総括は未だなされていない
*2 一九四五年五月、米軍のB29爆撃機が大分県竹田市に墜落、搭乗員十一人がパラシュートで着地したが、一人が自殺、一人が村民に猟銃で殺され、あとの九人は捕虜となって福岡市の西部軍司令部に送られた。その後、機長マーヴイン・S・ワトキンスは東京に送られ、残る八人の捕虜は九州大学医学部に送られ、解剖学教室で、生きたまま解剖されて死亡した。 |
近代日本における西洋医学の導入の中で、医学・医療という美名の下に多くの人体実験や生体実験あるいは生体解剖が行われて来たという歴史がある。1930年代の関東軍防疫給水部=七三一部隊の細菌化学兵器研究のための中国人他数千人に及ぶ汚辱にみちた生体実験、1940年代の九大医学部における米軍兵士の生体解剖*2、そして1968年の和田生体解剖心臓移植実験の三つの歴史的事実に関して、医学・医療界はきちんと総括し、二度と同じ過ちを繰り返さないという決意表明をすべきである。しかし医学・医療界で、この三つのおぞましい事実を歴史的に分析し総括し、次の� ��代に向けたメッセージは未だに発表されていない。
″脳死″を前提とした臓器移植を語る時、この三つの大事件の総括がなければ、それを語る資格は誰にもないと私は思う。百歩譲ったとしても、″脳死″を前提とした臓器移植法案を提案するのであれば、少なくとも三つの大事件のうちの"和田心臓移植″の問題点の抽出と総括の上に立って法案を作成すべきであつた。それが本来の科学的態度であり、論理的姿勢である。因みに、日本医師会生命倫理懇談会においても、いわゆる脳死臨調においても″和田心臓移植″に関するキチンとした総括に立脚した論議は全く認められず、報告書も決してそういうものではなかつた。
和田心臓移植事件についての詳細は他誌に譲るとして、以下簡単に記したい。これは一九九〇年に私が季刊『労住医連』に掲載した″脳死"臓器移植に関する文章の一部である。
事件は1968年8月8日北海道の札幌医大で起こされた。その概要について整理しておきたい。
1972年2月、日本弁護士連合会人権擁護委員会の心臓移植事件調査特別委員会(委員長武田腰氏)の報告書は、こう結論づけている。
《本件は、ドナーの山口君については作為による殺人、レシピエントの宮崎君については未必の故意による殺人罪を構成すると見るのを妥当としても、業務上過失致死罪の成立は免れ得ない。和田心臓移植は、虚構に始まり、虚構に終わったと言っても過言ではない。それは医療過誤の問題でもなく、医の倫理から論ずべき問題でもない。それらよりはるかに低次元の事件であり、日本医学史上の一大不祥事である。》
このような結論と断定を受けている和田心臓移植を心臓移植推進派は何故″再開する″というのであろうか?
現実に行われた和田心臓移植(=生体解剖)の実態を知れば知るほど、臓器移植について国民的コンセンサスが得られず、更に医師に対する不信感が湧出してくるのは理の当然である。
臓器移植を語るすべての人々は、まずキチンと総括すべきは、このおぞましい和田教授による《生体解剖移植事件》であることを確認すべきである。
問題点を以下に列挙してみる。
T 和田教授のいい加減さ
調査によると《拒絶反応及び免疫抑制剤に対する知識・経験は皆無に等しい》と断定できる。
宮崎信夫君の摘出された心臓が六ケ月間行方不明であつた。しかも六ケ月後に出てきた心臓の四つの切り取られた弁の一つは驚くことに全くの他人の弁であつた。宮崎君はAB型だつたが、一つの弁はA型であつた。その責任を和田教投は移植チームの一人の助手のせいとしているが、彼は移植事件後ガンで死亡。行方不明の宮崎君から摘出された心臓はこの助手が持ち出していたと主張(死人に口なし)。
テレビなどマスコミ向けの言葉が全く出鱈目であることが後で次々と判明。一例を挙げると拒絶反応はなかつたと主張していた(一九六八年一一月九日NHK教育テレビ)が、実際の病理解剖では、心筋と冠状動脈に拒絶反応が認められていた。)
山口義政君から摘出された心臓は、健康成人のそれと同じであつたが、宮崎君死亡時の心臓は何と重さ一〇八〇グラムと四倍まで重量を増し、左・右心室壁は一・三センチメートルあつたという。これは和田教授の強弁する″移植は成功″という言葉とはほど遠いことである。
死因を疾による窒息と主張しているが、病理解剖は、免疫抑制剤による血小板減少に伴う高度な出血傾向によって惹起された腹腔内及びその他の大出血が死因の主要な一角を占めていたことを明らかにした。又、心膜腔・胸膜腔・腹腔に広汎にして高度な緑膿菌その他の感染症の発生が認められ、そのために心内外膜相互の強度の癒着が発生し、心臓の運動性が著しく障害されていたという。又、血清肝炎による消耗と衰弱が著しく、末期には膵壊死が認められたという。
要するに多臓器不全に陥りショック死したと判断される。
U 山口義政君は生きていた
札幌医大に搬送された直後に診察をした麻酔科助手の内藤医師は「自発呼吸もあり心音もしっかりし、血色も良かつた」と確認している。
山口君が死亡したことを確認する心竜図や脳波が残されていないばかりか、血圧の記録さえなかつた(これもガンで死亡した助手がオシロスコープで脳波が平坦化していることを確認したと和田教授は強弁)。その他諸々の状況証拠あり。
V 宮崎信夫君は移植を受けなければならないほど重症の心臓病であったのか!
手術直前の状態は、『僧帽弁狭窄兼閉鎖不全症であり、内科的治療のみで経過をみても三年間は大丈夫だろう』と心臓内科の宮原教授に診断されていた。
宮原教捜は、人工弁置換術をすればあと10年はしっかり生きれるという考えの下に心臓外科へ宮崎君を転棟させた。心臓移植をすることは宮原教授には全く知らされず、事後に知らされ、宮原教授は驚愕したという。
T、U、Vを総合すれば、この和田心臓移植が如何にすさまじい生体解剖移植実験であつたかがわかる。そして、日弁連の報告書の言う《日本医学史上の一大不祥事である》ことが実に良く理解できるのである。
四 ″脳死″と救命の科学
しかし、この論議に決定的な影響を与えた医学的仮説とその実証がある。 それは日本大学板橋病院救命救急センターの林成之教授の脳低温療法の成果である。彼日く、『これまでの″脳死″判定基準は、脳細胞は死滅しているという前提(思い込みという仮説)に立つて論理を構築して来た。しかし、私の脳低温療法は、脳細胞は完全に破壊されてはいない、脳細胞の細胞膜が一時的にその機能を失った状態であるという仮説に立って構築された治療法である。従って、現在″脳死″といわれているものは"脳死状態″と呼ぶべきである。』(国会における参考人陳述では、林教授は学会や移植推進の人たちに遠慮しっつ椀曲的な表現をしているが、私は以上のように直訳した。) と。この林理論よりすると、� ��内基準が六歳末満の小児には適用できないことの理由が非常にスツキリと説明できる。脳細胞の細胞膜の機能は、六歳頃にほぼ完成するからである。"脳死″は医学的・生物学的な側面だけに限つたとしても決して人の死ではない。
脳死状態にある妊婦よりこどもが生まれたという事実が世界の各地より報告されている。そのことも、″脳死″は決して人の死ではあり得ないことを示している。脳死臨調でもこの点について明解な説明はなされていない。対応に困った強力な移植推進派の脳死臨調の井形昭弘委員は、脳死状態にある妊婦は例外として扱うべきだと公然と発言したという。彼は、移植を推進するためには、いくつもの例外をも作つて、何としてでも″脳死″概念を定着させ、生きている人を死に持ち込もうとしている。逆にその彼の言動の中に、〈脳死は人の死)ではないことを私たちはしっかり見ることができる。
脳低温療法という救命の科学は、移植先進国である欧米では簡単に″脳死″判定をし、早々と臓器を摘出し移植するが故に、決して生まれえなかつた治療法である。私たちは、このことと″脳死〃を前提とした臓器移植を強力に堆進して来た日本のそして世界の医学者・医療者の思想と行動を比較検討する必要がある。救命に関する医療者が進む方向には二つの道がある。当初の死に瀕している患者を助けるという視点は同じであつても、その後は移植NOとOKという二つの道に分かれる。その行動と論理は本質的に全く異なつていることを私たちはキチンと見極めておく必要がある。
*3 アメリカでは、1983年7月5日、バージニア州の一妊婦が脳死後八十四日目に出産。 また、アメリカのDillonらの報告によると、妊娠26週の妊婦が、脳死判定後24日目に帝王切開で930グラムの女児を出産した (JAMA,248:1089,1982)。 日本では1982年12月13日、青森県の一妊婦が脳死後出産している。また、新潟大医学部の佐藤芳昭らの報告によると、妊娠34週の「石沢○子」という26歳の妊婦は、脳死判定後の七時間目に経膣分娩が成功、1430グラムの女児を出産した。女児は生後46日目に2860グラムで退院し、特に発育上の異常を認めていない(「産婦人科治療」 第50巻、第一号、1985年)。 |
〈脳死は人の死)とすることは、科学的にも未だ生きている人の生にとどめを刺して死に追いやることであることを私たちは今一度認識すべきであろう。
参考文献
(1)「臓器移植法の制定に反対する意見広告」朝日新聞、1994年6月23日。
(2)猪熊重二「臓器移植法案に対する疑念と批判」法令ニュース、1994年7月号、2-8頁。
(3)臓器移植の性急な立法化に反対する緊急連絡会主催シンポジウム 「脳死・臓器移植を考える」1994年10月8日、東京・順天堂大学講堂。
(4)脳死・臓器移植を考える委員会主催緊急フォーラム「臓器移植法案は日本の社会に何をもたらすか」1994年11月3日、東京YMCA。
(5)黒須三恵『臓器移植法を考える』信山社、1994年。
(6) 阿部知子「人の臓器を物として扱い始めた医学を問う1脳死・臓器移植法案反対の意見広告を全国紙になぜ載せたか」世論時報、1994年10月号、31-36頁。
(7)松本文六「再び脳死・臓器移植問題について」労働者住民医療、1996年1月25日、94-110頁。
(8)「臓器移植法案修正案」に対する医師の緊急声明「臓器移植を問う」(国会議員と市民の勉強会)1996年6月12日、東京・衆議院第二議員会館。
(9)全国心臓病の子供を守る会主催市民公開シンポジウム「日本の心臓移植を考える」1995年3月26日、東斉・サンケイ会館。
(10)川島康生「臓器移植法案の早期成立を望む」朝日新聞「論壇」1996年6月7日。
(11) 黒須三恵、長本場健、大野曜吉 「移植医療は社会に何をもたらすか、臓器移植の問題点と目指すべき新たな医療」 日本医事新報、1996年1月20日、95-98頁。
(12) Lock M:The quest for human organs and the violence of- zeal.h Das V, Kle.nman A,Reynolds P(Bds)=Violence,Polir.Gal Agency and the Self. University of California Press.(印刷中)
(13) Waranabe Y:WhyL do I stand against The movement for cardiac transplantation in Japan? Jpn tleart J 35=701il4,1994.
(14) Toshima H,Kawai C:Why is heart transplantation not performed in Japan? Refufation 0f Dr. Yoshio Watanabe's arguments against heart transplantation. Jpn. heart J 36: I 3-21,1995.
(15)蹟部良夫「心臓移植をめぐつて、ある反対論者の主張」メディカル・トリビユーン、1990年10月25日、pp46-47
(16)渡部良夫「心臓移植反対再論」〔Cardiac Practice 2:370-373,1991.
(17)湊部良夫「脳死体からの臓器移植が包含する問題点と危険性」、梅原猛編『「脳死」と臓器移植』朝日新聞社、1992年、42-62頁。
(18)望凌部良夫「医と法の対話20『臓器移植も医学の立場から』」法学教室、1993年1月号、70-71頁。
(19)湊部良夫・阿部知子編『「脳死」からの臓器移植はなぜ問題か』ゆみる出版、東京、1994年。
(20) 湊部良夫 「脳死を『死体』と乱暴に決めつける臓器移植法は成立させてはならない」 文芸春秋編『日本の論点95』文芸春秋、1994年、500-503
(21) 涯部良夫、廣瀬輝夫対談 「臓器移植法案をどう考えるか−日米比較から」メディカル・トリビユーン、1995年2月9日号。
(22)疫部良夫「政治家は臓器を植えずに人を植えるべきではないか」 労働者住民医療、1995年4月25日、72-78
(23)スウェーデン国会議事録「諸外国の立法」1994年5月、国立国会図書館調査立法考査局。
(24) Watanabe Y :Once again on cardiac transplantation. Flaws in the logic of the proponents. Heart and Vessels
(25)廣澤弘七郎 「循環器専門医の立場から見た脳死、心臓移植」、梅原猛編『「脳死」 と臓器移植』朝日新聞社、1992年、63-80頁。
(26)太田和夫 「移植後の成績やQOL、医学の進歩により著しく向上」 ばんぶう、1995年4月号、39頁
(27)日本移植学会シンポジウム 「移植医療の是非を問う」1995年9月4日、京都国際会館。
(28)「移植学会、指針作成し脳死臓器移植実施へ」日本医事新報、1996年10月5日、87頁
(29)田村春雄『脳死裁判 (上・下)』 ゆまに書房、1989年。
(30)メディカル・トリートメント編集部編『四つの死亡時刻 − 阪大病院「脳死」移植殺人事件の真相』さいろ社、1992年。
(31)マーク・ダウイ著、平沢正夫訳『ドキュメント臓器移植』平凡社、1990年。
(32) A・キンプレル著、福岡伸一訳『ヒューマン・ボディ・ショップ-臓器売買と生命操作の裏側』化学同人社、1995年。
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