この資料は、脳死を人の死として臓器移植を行ういわゆる「臓器移植法」に反対する人々により、様々な主張を纏めて出版された啓発本「愛ですか・・臓器移植」から、「事実として重要な部分」と「考えとして重要な部分」を抜き出したものである。図と表はスキャナーで取り込んみ、図はそのまま、表は形を整えて載せた。文章は原則OCRにて文書化し、気づいた範囲で誤訳は修正したが、まだ誤字・誤訳が残っているものと思う。不審な点があれば原著を参照されたい。縦書きを横書きにした関係で漢数字は一部算用数字に書き換えてある。
抜粋部の目次
脳死はこうして作られる 脳低温療法 厚生省に任せられますか・・あなたの命 日本移植学会「臓器提供マニュアル」批判 臓器移植法案の意味するもの 「脳死=臓器移植」法案の盲点 国会議員への十の質問 レシピエントは本当に利益を受けることが出来るのか 脳死患者の発生を減らす為の努力を 北米での脳死臓器移植 人の死は文化のなかにある ついにパンドラの箱は開かれた 和田教授のいい加減さ 山口義政君は生きていた 脳死状態にある妊婦よりこどもが生まれたという事実が世界の各地より報告されている 文献
脳死はこうして作られる 関西医大事件(p21)
1993年10月末から11月の事件です。ドナーとなつた女性は29歳の若い看護婦でした。頭痛のため勤務先の病院でCT検査をしたところおかしいと言われ、病院の紹介で関西医大に歩いて入院されました。ひどい頭痛とCTの異常からクモ膜下出血と考えられました。その場合、暗い静かな所に寝かせることが一番なのですが、救急部では安静にできる部屋がなく、うるさい所で寝かされ激しい頭痛を訴えていたところ、動脈瘤が破裂しました。その後も病状が進行したために翌朝、開頭手術をしました。麻酔を打つと体が冷えた状態になります。手術室から帰ってきた時も低体温でした。こういった患者さんにとつては、脳の治療のためには低体温は都合が良い(後述する日大板橋病院林成之教授による脳低温療法では、32−33度の脳温管理が必要とされている) のに、なぜか看護婦は温めてしまいました。その結果三十九度の熱となり、瞳孔が散大し、やがて反応もなくなりました。手術後半日で、脳外科の医者は望みがないと判断しています。裁判所の申し入れで、関西医大の救命救急センターからたくさんの資料が出てきました。
脳低温療法(p29)
二十年近く脳外科の医療現場を担当している医師です。十五年ほど前から脳死問題に関心を持つています。脳低温療法を中心にしながら、今の脳外科における救急医療には何が必要なのか、現場の医師がどのように考えているかをご紹介します。
@脳低温療法で「蘇生限界点をはるかに越えた脳死寸前の患者」が助かつている。柳田邦男氏が書かれた「脳治療革命」(「月刊文芸春秋」1997年4月号)は、脳低温療法のくわしいレポートです。
A生還(社会復帰)した「脳死寸前の患者」は、厚生省脳死判定基準では「脳死」だつた。
B「全脳の機能が不可逆的に停止する」蘇生限界点を前提とした脳死判定基準では、「脳死寸前」と「脳死」の判別は不可能。
C脳死判定基準に依処する臓器移植法案の「脳死体」には、「脳死寸前の患者」も含まれる。
D全国の救命救急現場の早急な整備なしに臓器移植法案を成立させることは、年間数千人に及ぶ「脳死寸前の患者」を死に追いやることになる。
大阪にある国立循環器病センターの川島康生総長が「臓器移植がなされないためにジャンボ機一機分くらいの子どもたちが毎年死んでいるのだ」とよく言われるが、彼の言葉を引用すれば「臓器移植法案によりジャンボ機十機分くらいの方々が葬り去られることになる」と言わざるを得ない
*28日本大学板橋病院の林成之教授(脳神経外科)チームが開発した、重症頭部外傷をはじめとする重篤な脳障害患者に対して、体温を32〜33度に下げ、脳の温度もそれに近づけ神経細胞の損傷を抑える集中治療法。1991年以来、頭のけがや脳内出血にともなう重症の植物状態、脳死状態に陥った人を高い確率で回復させている。(林成之『脳低温療法』総合医学社、1995年など)。
*29厚生省「脳死に関する研究班」が提案した脳死判定基準(竹内基準)は、厚生省判定基準とも呼ばれる。臓器移植法成立後、厚生省令でこの基準をもつて運用することとなつた。
2「脳低温療法」により「脳死寸前の患者」が助かっている事実
1994年12月放映のNHKスペシャルで、日大板橋病院の林成之教授による「脳低温療法」のルポルタージュが報道され、遠藤ふじ子さんという重症な頭部外傷の方が助かつている事実が紹介されました。また今年に入っての放映では、75名中56名が生還し、この中には木下ひでおさんという重症なクモ膜下出血の患者さんも紹介され、その後無事に家に帰られるシーンもありました。
脳低温療法は、日大だけではなく広島大学、山口大学など、いろいろなところから成果が論文として発表されています。また、脳死・脳蘇生研究会という学会でも、名古屋の藤田保健衛生大学脳外科、東京の日本医科大学などでの成果が相次いで発表され、日大だけではなく全国で治療を見直し、実績を上げてきている現実があります。
最後に、岡山に住んでおられる寺尾陽子さんのお話*37です。彼女は生まれた時に三歳までの命と言われました。十七歳の時には、今移植を受けないとあと一年から二年しか生きられないと言われましたが、心臓移植を拒否し、現在二十八歳になりました。昨年秋、私たちが主催している現代医療を考える会での講演のため、大阪に来てくれて三十分間立ったまま話をしました。すでに心臓が大きくなる状態は止まり、心臓が悪い人に必発の血液が濃くなる症状も止まり、一定の小康状態を保っています。日本の移植医の一種のまやかし、この裏には何があるのでしょうか?
*37イギリスの病院で心肺同時移植の候補になつたが、一年余の葛藤の末、移植を拒否。その間の気持ちを『生きててよかつた』(リヨン社)にまとめた。
厚生省に任せられますか・・あなたの命(p36)
波部良夫先生が循環器学会の臓器移植のパネルディスカッションで各会員に質問をされました。
「あなた方のお子さんにドナーカードを持たせていますか?」。誰一人持たせてはいませんでした。
なぜ移植推進派の人たちは、自分の子どもたちにドナーカードを持たせないのでしょうか。それは移植の現場を知っているからです。あまりにも生々しくて残酷だからです。我が愛する子どもの臓器を摘出させたくないのが本音ではないのかと思います。
千里救命救急センター事件のドナーのお母さんから「息子が因幡の白兎になつてしまった」という言葉とともに、皮膚だけではなく眼球も摘出されて血が流れていたというお話がありました。
「ご臨終です」と言われ、すぐ外に運び出して臓器摘出手術が行なわれ、家族の悲しみなどは一切関係ないのです。人間の死に対する痛みは、この法案のなかには含まれていない気がします。
日本移植学会「臓器提供マニュアル」批判(p40)
移植学会が作つた臓器提供マニュアル(案)がここにあります。そもそもなぜ移植学会が提供マニュアルを作るのか、私には信じられません。移植学会はドナー側とは無縁なはずですから。ましてこのマニュアルに則って、厚生省が後押しをして法案を作り、移植が行なわれていくなどもっての外です。
「日本医事新報」(「移植学会、臓器提供者の意思確認必要と判断」一九九七年三月二十九日号)に載った移植学会が発表した骨子のなかには、移植ネットを作る、委員会を作る、とありますが、最後のほうに一番問題にしたいことがあります。
「今のところは法案をまず通すことが先決である。現段階での脳死臓器移植はその足かせとなるようなことになるのでしかないが、もし法案が否決される場合は本人の提供意思があろうとなかろうと移植はやってしまう」という箇所です。
法案を作ればそれに従うが、作らなければ勝手にやるという、これは一種の脅しです。医者が一番やってはいけない脅しです。患者さんは声を出せない、また家族は主治医に何も言えない状況にあるのですから、こうした高圧的な態度は医者の倫理以前の問題です
臓器移植法案の意味するもの(p57)
はたして、脳死・臓器移植で助かつたといわれる人は、本当にそれでしか助からなかつたのか?一度移植手術を受けてしまった以上、生きているのが移植によるのか、それとも他の理由によるのか、このことを証明することはできません。しかも、さまざまな具体的事実があります。たとえば、日本のお医者さんに「臓器移植でしか助からない」と言われて外国に波り、待機していたものの、適当な臓器がこなかつたため、残念な思いで帰ってきた…・。しかし、別の薬物療法で社会復帰を果たした、というものです。
また、肝臓移植でしか助かる道はないといわれて待機していて、三年後にようやく移植をすることができた、けれどもその患者さんは七十四日めに亡くなつてしまった、という例もあります。
ドイツには、ナチスの医療を徹底的に自国でも糾弾してきた歴史があります。日本は、ナチス以上の人体実験専門の七三一部隊というものを有していました。が、しかし、私たちは歴史的に、それを基本的に不問に付してきました。そして七三一部隊の生き残りの人々が、大阪のある巨大薬剤会社を設立し、そして数十年後その会社が薬害エイズをつくりだすに至った。私たちには、このようなことに対する歴史的眼差しがあまりにも稀薄なのです。
また、ドイツの宗教界では、カトリックの方はおおむね脳死・臓器移植や脳死をもって死とすることに賛成していますが、それでもたとえば、ケルン大司教は異を唱えています。一方プロテスタントの方は、これまでの態度を転換し、基本的に脳死に反対する声明を打ち出しています。